山の彼方の幸せ求め・・・

2005年 05月 29日 ( 1 )

夏の原風景

そこは大阪市の南部、昔から住宅地であるのに周囲には田や畑に池が点在していた。
僕が産まれた地は母に聞きそびれたが、育ったのはそんな風景の土地だった。
家の前の道路は早くから舗装され、子供の頃は広いと思ったが何のことはない4m道路なのだった。

家の前を進駐軍のトラックなどが頻繁に通ったが、子供だった僕には占領軍の意味を知るよしもなく、ただ珍しい姿の人間だと思った。
その進駐軍と同じぐらい知らなかった事に、父が義理だと理解したのは小学校3年生の時だった。

初夏を迎え、汗を流す季節になると、母は[へっついさん(かまど)]で湯を沸かして
行水をさせてくれる、汗を流し、さっぱりしたところへ、首筋におでこから鼻にかけて
T字に汗疹避けの白い液体を塗ってくれて、今もその香りは忘れていない。

水道の下に木の桶が置いてあって、そこに西瓜を冷やしてあった。
父は西瓜が好きだったようで、西瓜の切り分けは母にはさせなかった。
父の手元を見ながら、どれにしようかなと選ぶのも、行水の後の楽しい時間だった。

小学校の低学年だった頃、学校から帰ると、母の仕事場へ足を運び『何かおくれ』と強請る(ねだる)と、母は、『水道の下の桶にキュウリとトマトが入ってるから、それを食べとき』と言った。
農薬なんぞ無かった時代なので畑の物を直接食べても不安すら無かった頃のことだ。
つまりは、桶のキュウリやトマトより、新鮮なのを僕は食べていたのだが母には内緒だった、話せばきっと殴られる。
僕のお世話になった畑は、家から少し離れたところで、子供ながらに熟したのを見る目は確かだったように思う。

夕食に素麺や冷やしうどんも食卓を賑わした。
素麺の具にキュウリとトマトが乗せてあった、今のような大きな海老など見た事もなかった、売っていたのかもしれないが・・・・

暑い日が来ると、そんな遠い僕の原風景を思い出す。
今日も大阪は暑い、原風景を思い出しながら、素麺を湯がくことにしよう。

いただきま〜す。
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by kattyan60 | 2005-05-29 17:54



ヨーガをするショコラ君