山の彼方の幸せ求め・・・

2005年 02月 12日 ( 5 )

妻の愚痴

世の奥様方はご主人に不満をお持ちでしょうか?
僕は妻と結婚して34年余、妻との絆を何の疑いもしないで暮らしてきたが、妻の49日の日に、妻の唯一の友人だった人から衝撃的な事を聞いた。
『奥さんはご主人の優しさが重荷だって言ってましたよ』この言葉をどう解釈したらいいのか悩んだけれど確認する術もなく今日に至も少なからず悩みは消えない。
妻は僕に耳触りの悪い事は殆ど言わなかった。
僕の人格を云々するようなことである。
ただ、運転中にはよく叩かれたもんだった。
『ホイ、何処見てるのよ、事故るでしょうが/』パチン
『あの割り込んだ車を追いかけろ〜』パチン
『アホ、信号が赤でしょうが』パチン
彼女が免許を取るまでは左程うるさくなかったけれど、免許を取った途端にこの有様ですよ。
バックでガレージに切り返しもなく入ると『巧いやんか〜さすがやね』パチン
妻の愛情は痛いのであります。
そのパチンの裏に僕の言動に対して少なからず不満があったのではと回想しています。
今の僕ではなく、当時の僕は仕事以外で遅くなることは皆無でゴルフ、麻雀、競馬競輪、パチンコに至まで殆どしない『お父さん、たまには世間並みにパチンコでも行って来たらどう?』と3000円を渡してくれる。
僕の財布には1万円が入っているが、それをセロテープで財布に止めてあるんです。
小さいとはいえ、一応は会社の社長の財布に入ってる金額が1万円でしてしかも妻は使わないようにと止めてあったんです。
子供でも持っている金額でしょうね?
1万円というのも止めているのにも理由があって、僕は欲しい物を待つことをしない
という性癖があるんだそうな。(家族全員一致の意見)
仕事で出費しなくてはいけないシチュエーションになった時は息子が払うんです。
ですから、僕の財布の1万円はいつまでもそのままだったんです。
『お父さんはもう〜』とは言わずに実力行使なんですね、でも財布に1万円をセロテープで止めてしまうとは考えたもんです。
どうしても必要になった時はセロテープを剥がして使うと翌日の財布にまた新たな1万円が止めてある。

妻は言いたい放題 真剣に僕を罵倒したかったこともあっただろう。
今となっては それが聞きたかったものです。
僕は妻に感謝こそすれ、捜しても愚痴ることも無いし罵倒することも・・・
あった、罵倒したい事「何で僕を置いていったんや〜アホ」
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by kattyan60 | 2005-02-12 23:28 | 愛を語る

大失敗の始末

下記、mailmamaの作ったヨーグルト・ケーキの大失敗の作品を一口賞味させていただいたんです。
ところがですね、それはお饅頭のような食感なんですが美味しいんです。
その前に僕が作ったフンワリとしたのより美味しいんですよね。
残りを全部食べてしまいたかったのですが、食べ物の恨みを買うと大変ですから、お皿を
チラチラ眺めるだけで我慢した次第です。
そして、夕食には蟹チリにしたんです。
彼の人のメールで蟹チリが所望だと理解した僕が冷凍蟹を仕入れて訪問し、買ってもらった野菜などを刻んで食べて、残った具を残らず引き上げて雑炊にしたんです。
もちろん、彼の人は丼で僕は椀ですが、ご当人は気づいてない様子。
今回の冷凍の蟹は美味しくなかったなどと言い合いながら食べ終わり、僕より多い事を
お伝えすると、『まだ入りそう』ギョ
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by kattyan60 | 2005-02-12 05:58 | 食を語る

小さな家

僕の住んだ家は古い家で、属に云うところの棟割り長屋で4軒繋がっていた。
玄関の扉をガラガラと右から左へ開けると4帖程の土間があったのを義父が改造して1帖程土間を残して畳の部屋を作った。
そこへ上がり、数歩歩くとガラスの建具の扉があって左は二階への階段、右は4帖半の部屋があって もっぱらそこで食事をしていた。
玄関の土間の右手には台所があって、[へっついさん]所謂(いわゆる)[かまど]である。
お袋はそこでご飯を炊くのだが風の強い日等は煙が逆流してゴホンゴホンと咳をしながら
火吹き竹をふ〜ふ〜吹いていたのを思い出す。
食事をする部屋を抜けると6帖の部屋があり、その左手には黒檀のタンスがあって親父の自慢だった。
タンスの反対側に押し入れがあり仏壇と長持ちが入っていた。
その6帖を抜けると板敷きの廊下が左右にあり、その廊下から小さな庭へ降りられる。
その廊下の右端はトイレになっているが、トイレにしゃがんだ目線に小窓が明いていて庭に出ているとトイレの人と目が合うのがどうも親子と云えども照れくさい。
夏にはその縁先に腰掛けて西瓜を食べ、種をプップツと吐き出す。
秋になった頃、その種が芽吹いていたが春には消えていた。
その庭の向こうに僕の寝ていた小部屋があり、その小部屋は義父と義兄が作っていたのを覚えているが、小学校へ上がる前のことなので日数がどれほど懸かったのか定かではない。
それで、気をよくした訳でもなかろうが、その小部屋の隣に6帖ほどの小屋を建てて
使わない物の倉庫にしていたが、いつの頃からかそこを人に貸していておばあさんと中年の息子さんが住んでいた。
後年その中年のおじさんが酔って仏壇にお灯明のロウソクを立ててそれが倒れて全焼したのだった。
家が焼けた頃は結婚して家を出ていたが、想い出の品などはそのままだったので卒業アルバムなどは消えてしまった。
5番街のマリーじゃないけれど今も其処に住む知人は多く、時折訪ねるようにしている。
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by kattyan60 | 2005-02-12 04:43 | カテゴリーに入らない話

小さな町

大阪市の南に安立町と云う小さな電車の小さな駅が今もある。
駅員も居なくて駅舎もない、ただコンクリートのプラット・ホームに屋根が付いているだけのほんの7〜8mの長さだ。
切符はその駅の近くの酒屋さんで買う、その反対側にアイス・キャンデーの専門店があったが今は無い、その隣に喫茶店があって、16〜7歳の頃そこで友人とビールを飲んで
ポップスのレコードをかけて楽しんだものだった。
その頃の曲で[悲しきインディアン]や[悲しき雨音]などが流行った頃だ。
僕も友人にも彼女なる人が居なくて二人でやんちゃばかりしていた。
二人で難波へ出るには、その小さな駅から小さな電車に乗って住吉神社前まで二駅乗り、
そこから南海電車で難波まで行く。
当時はお小遣いが少なくて、帰りには電車賃も無くなってしまう。
それでも、難波の駅に入り(当時は入るのは入れたが出られない)プラット・ホームの
端を歩きながら進んで行くと、切符か小銭が落ちていてそれを拾って出たのだから考えてみれば無謀な話しだが、運良くと云えるかどうか何度も小銭か切符を手に入れたのだから運が良いのだろう。
僕の一生の運をその時にあらかた使い果たしたのかもしれないと思っている。
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by kattyan60 | 2005-02-12 04:16 | カテゴリーに入らない話

母体復帰

僕は幼少の頃、押し入れに寝るのが好きだった。
古い家だから押し入れと云っても小さな子供が寝るには充分過ぎる広さがあった。
そこに[長持ち]って箱があり、その上に布団を敷いてもらって電気スタンドと漫画を
持ち込み[ポン煎餅]なんぞをポリポリ食べながら寝るのは至福の時間だった。
流石に高学年になると体重も増えて危ないってことで義父の作った小屋へと布団を運び
そこで成長した。
小屋と云ってもほんの4帖あるかないかの狭いものだが、その狭さが好きだった。
屋根はトタン貼りだから雨が降ると それはそれは賑やかでそれも好きな一つだった。

天気の良い日には雀が遊び、その足音も可愛いと思ったもんだ。
或る日、その雀が遊ぶ音と別にズ〜ズ〜と鳴った、背筋がぞ〜っとした。
それはヘビが這う音なんです。コワ〜

押し入れも、その小部屋も好きだったのは母体復帰への願望だったんでしょうかね。
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by kattyan60 | 2005-02-12 03:54 | 愛を語る



ヨーガをするショコラ君
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