山の彼方の幸せ求め・・・

2004年 12月 03日 ( 7 )

転換期

転換期より
自営を初めて6年は夢中で過ぎ、やっと訪れたチャンスかと思った。
小太りの紳士に下請けを依頼されて、会社を訪れることになった。
それは名古屋にあり、テニス・コートが6面は充分取れる駐車場に6階建てのビル。

その目的の階は案内板で4階だと判り、エレベーターで上がりドアを開けると
長いカウンターの向こうには20人くらいの人が机に向かっている。
例の小太りの方は直ぐに僕を見つけてくれて、大声を出さずに済んだ。

応接へ通されて、話しを聞くと息子と二人で月額150万でどうだろうか言う。
出張の経費は別途支払うと云う、夢のような金額に隠れた足の太ももをつねったら
痛かった。
だが何をどうした仕事なのか解らない、と伝えると電気の制御を理解してるなら
簡単だと云われて安心はしたものの、専門的に勉強したわけじゃない。
それからは、貰った資料を読み、図面をにらみつけた。

明治に入る前後に、文字の読めない職人さんが外国からの図面だけで色んな物を
作成してきたんだ、今の時代で出来ない訳がないと信じていた。
火縄銃の現物を見て作った技術は凄いと思う、銃身に使う筒だって元は煙管(きせる=
煙草を吸う道具)の製作する技術が大きくなっただけだと聞いて驚いた。
鉄棒に帯状にした金属を巻き付けていき、熱して叩いて接合し中の芯金を抜くと
筒になる、聞けば簡単だが現物を見て、その方法を考えた人は優秀なんですね。

解らない図面は100回見たら理解できると思ってた、[何とかはヘビに怖じず]

家電業から工事業に制御盤と電気屋のあらかたを経験して訪れたチャンスに
妻は仕事を辞めて家業の事務を引き受けてくれるようになりました。
バブル崩壊までの数年は夢のように上がる利益に妻と手を取り合って励ましあった
ものでした。  完
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by kattyan60 | 2004-12-03 18:42 | 仕事の話

転換期

電機屋の仕事を初めてから1年は経ったろうか。
あるご近所のお宅を訪ねてテレビの修理が終わり、3200円だと申し上げると給料日まで
待ってくださいとおっしゃいました。
帰る車の中で、僕は考えたんです。
業界の知識がまったく無いまま始めた家電業に少し不安を感じて来ていた時に、代金の
回収が難しいのでは困るが看板は降ろせない。

当時は公団住宅の3階に入っていた頃です。
サンヨー電機さんが作ってくれた看板を窓のフェンスに着けてた看板の名前に愛着が
あります。
友人が経営する電気工事の会社を訪ねて相談したら、暫く下請けしてみろと云う。
それから、そこへ出入りの業者さんに混じって仕事を見ていたら難しくない。
ただ彼らは数年から数十年のベテラン揃い、新参者で不器用な僕の比ではない。
僕より年上の方に代わって高い所の作業を申し出ると叱られました。
『ばっきゃろうめ、俺はこれで何十年もやってるんだ、任せろっ』
「中井さん、僕にやらしてよ」
『ダ〜メ、日が暮れちゃう、その箱を順番に開けて俺に呉れ』
中井ジュニアが『南さん、 頑固なもんですんまへん』

その仕事をしている時に僕が自慢出来る仕事がありました。
重さ1トンのトランスを地下の電気室から出して、新しいのと交換する。
皆さんよりはこうゆう、重量物には多少の経験がある。

土木の仕事をしていた時に、道路を掘って通行に支障のないように敷いてある鉄板を
ご存知の方も多いでしょう、あれの1枚はかなり重いんです。
通常はクレーンで積み降ろしをします。その日の内に撤去しなくてはならずとロープを積んで小さいダンプ・カーで行きまして、電柱を利用して積み込んだら見てた通行人の方が
拍手してくれまして、手の平を会わせて頭の上で降りました、サンキューサンキュー
バカにも取り柄があるもんです。

そのトランスを数本のロープとトラックを利用して引き出し、その逆をして定位置に
納めたんです。
その事があってから中井のおっちゃんは、事細かく指導してくれるようになりました。

友人の会社の仕事の無い時は、会社と工場廻りをしたんです。
そのあちこちで頻繁に出会う人が居ました、少し小太りの人と仲良くなりまして、
食事を共にした時に名刺を出し、下請けをして欲しいと。
丁度バブル経済に突入し始めた頃でした。   続く
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by kattyan60 | 2004-12-03 12:45 | 仕事の話

あのう〜食事中なんですけど

昨夜はお好み焼き屋さんへ出掛けました。

掃除の重労働(?)の後、作る体力がないと外へ出掛けました。
ご婦人4人に男はオイラだけ、全員の歳を合計して遡る(さかのぼる)とそこは
江戸時代は中期かも。(遡るのは変かな?)

ご婦人はビールをグビグビ、僕はスプライト。
それぞれのレシピでオーダーし、焼き上がるまでのお喋りタイム。
海外旅行頻繁(ひんぱん)な方とシアトルに住まれる方が話しをリード。

焼き上がったお好みをパク『ベトナムのトイレってね』モグモグ
『板の床に小さな丸い穴が明いてるだけだし、密室じゃないのよ』グビッ

”あのう、食事中なんですけど”でも、それを気分を悪くすることなく聞けた
のはお話が上手な上に、こちらの何ごとにも動じない年齢なのかもしれません。

彼の人様、ご馳走様でした。
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by kattyan60 | 2004-12-03 10:59 | カテゴリーに入らない話

妻の髪は

サービスチケット
自営を初めて数年は超貧乏でした。
子供の髪は幼稚園に行く前から僕が切ってたから、自営しだした頃は中学生の娘と
小学生の息子の髪を切るから家計的には非常に助かりました。
妻の髪は手に負えません、彼女の髪の毛は非常に太くて癖があるのが原因です。

妻が腎臓を患って入院し、安定期に入ったが絶対安静のまま退院してきました。
伸びて嫌だと云う妻の髪に挑戦してみました。
チョッキン チョッキン 左手の平に痛みが走ったので見ると毛が刺さっている。
大げさでなく切った毛が鋭利な先端となっていたんでしょう。

遺髪は5cm程です、剛毛です、熊の毛のように頑固です。
妻の頑固は娘も舌を巻きます。
僕は頑固とは自分の考えを持っているからだと思っています。
天国でも頑固なんかなぁ〜
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by kattyan60 | 2004-12-03 04:13 | 幸せの定義

妻のサイズ

結婚する前、まだ結婚も決まっていなかった頃のこと。
二人でデートした事が3回ぐらいだったか。

仕事が終わって着替えたみっちゃんの服装は地味で高価でないのが判る。
僕がみっちゃんの友達に、それとなくサイズを聞いた。

親しい人が勤める洋服屋さんへ出掛け、服とスカートに靴を揃えた。
それに、宝石店で誕生石のエメラルドのちっこいのを買った。
結婚できなくても、受け取って着てくれたら良いや、みっちゃんの服を注意してたら
多くを持っていないのが判る。

みっちゃんにメモを渡した”いつもの所で待つように”
専務に、みっちゃんに会いに行くが仕事があるから事務所の暖房は点けておいてくれと
言い、出掛けた。
そこは小さな喫茶店で いつも隅っこに座って下を向いている。
コーヒーも飲まずに出て、車に乗せて走りながら「後ろの席を見てごらん」
みっちゃん『何んですか?』
僕「箱を開けて良いよ」
そして僕は小さな箱を剥き出しで渡し、「お母さんの反対で結婚出来なくても返さなくて
良いから、明日着て会社へ来てよ、それだけが条件かな」(キザだなぁ〜)
みっちゃんは、聞くまではエメラルドの指輪をガラス玉と思ってたと結婚してから聞いた。

翌日、みっちゃんは約束通り着てくれた。
僕と同輩の男どももみっちゃんを狙っていたのは、僕の部屋に遊びに来た男どもの
話しで判ってた。
僕が結婚を申し込んだことは知らない(愛を語る=家内への鎮魂歌に詳細)

仕事中にメモを渡した、”いつもの喫茶店で”
みっちゃんは待っていてくれた。
この頃は不安だったが、もう観念していたと結婚後聞いた。
みっちゃんの笑顔は18歳とは思えない大人の顔だった。
それは、過去の辛い環境がなせるものだと知ったのは結婚して、かなり経っていた。
みっちゃんは、指輪をしてなかった、僕が「みっちゃんの誕生石だから」と言って初めて
本物だと気づき、高価なものは戴けませんと言ったが、貰ってくれと頼んだ。

給料の全てをお義母さんに渡し、小遣いとして月に500円貰うと云う。
当時としても、年頃の子が貰うには少な過ぎる。
僕は20000円(当時の彼女の給料くらい)を渡して、化粧品でも買えと言った。受け取る事を拒否したが無理強いした。

それから2週間後に何を買ったか聞いたら、まだ持っていると言う。
お願いだから、買って欲しいと言ったら後日、買ったルージュを見せてくれた。
それは、まだ使われずに封も切られてなかったので、今つけて欲しいと頼んだ。
そのルージュをつけたみっちゃんは、より大人に見えた、地味な色だった。

そのルージュの香りを間近に嗅いだのはそれから1月もしてからだった。
二人で京都へ行き、嵐山から[洛柿舎]を通り抜けて竹林へ行ったら『怖い』と言った。
みっちゃんはヘビが大嫌いだと言ってたのを思い出してそこから去った。
やはり結婚してから聞いたがヘビではなくて僕が怖かったらしい、それはKissも知らない
幼いみっちゃんだった。
続く
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by kattyan60 | 2004-12-03 02:51 | 愛を語る

アイルランド・ダンス

何年前だったでしょうか、テレビのCMで[サミーディビス.Jr]が来日する。
それを見た僕は、是非行きたいと妻に伝えると『私も見たい』と云うのでチケットを
頼みました。
妻は『何を着て行こうかしら、着物にしようか?』
僕「高島屋へ行こう」
それで、高島屋へ行きライトグレーのベルベットに小さなビーズが全体に散ってるのが
素敵だったので、「これが良い、きっと似合うから」と試着させると、とてもシックでエレガントだったのです。
それを箱にいれてもらって帰って来て、僕がもう一度着て見せてと言って着てもらいました。
僕「髪を短くしようよ、色も明るく染めようよ」
妻『色迄染めるの?』
僕「そう」

当日、朝から仕事を休みにし、早くから大阪中之島へ出掛け、リーガ・ロイヤル・ホテルで
お茶を飲み、ケーキを食べて時間を待ちました。
サミーはそれが来日公演の最後になりました。
その、ワンピースの袖が細くなったと嘆いていた。

妻の物を整理していた時、大切に保管されていたそれを ご近所の似合いそうな方に
着ていただけるそうでお願いしました。

同じように、[リバー・ダンス]を見て息子にチケットを頼むと、名古屋公演のを取って
くれた。
今回は服装の事は何も言わない、僕が何を着るの? と聞いたら着物にすると。
[リバーダンス]の公演の中幕の休憩にビデオを売り歩く、それが欲しいねと言ったら
立ち上がり、走って行った。
暫くして帰って来た妻の手にDVDが載っていた。
妻は得意顔で、『外の販売屋台で売ってたのを見たの』
それは僕の宝物、既に何十回観ただろう、その度、妻の得意顔が浮かぶ。

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by kattyan60 | 2004-12-03 01:42 | 幸せの定義

主婦もまた

僕が家電の販売修理をしていた頃。
日立家電がチラシを安く印刷してくれるので、原稿をあれやこれやと書き記して投函したが
回答がない、次のチラシにもまた同じ事を書こうとした時に、妻は[家電品何でも修理します]とだけ書いてみたらと云うので その通りにしたら、何と毎日修理の電話が掛かって
きます。
或る日、いつものように修理依頼の受付メモを整理してたら、先日伺ったお宅からの
電話があったようなんです。

「こんにちは、○○○電機です、今日お伺いしたいと思いますが、ご都合はいかがでしょう」
何時でも居ますからどうぞ、と言われて直ぐに伺いました。
奥様は20代後半だそうです、赤ちゃんを抱いてドアを開けてくださいました。
『おじさん、これなんですが』
おじさん「先日伺った折に言ってくだされば良かったですのに」
『・・・・・・・』
おじさん「症状を教えてください」
『その前にお茶でもどうぞ』
おじさん「はい、ありがとうございます、いただきます」
それからお茶をご馳走になりながら、お話をしていると結婚する前は不倫をしてたとか、
同年代は頼りなくて嫌だとか、おっしゃいまして『おじさん、どうですか、私はダメですか?』

その日、修理をして帰り、家内に次に電話があったら死んだと云えと伝えたら怪訝(けげん)な顔をしていました。

僕は決して真面目な男ではないけれど、当時は会社勤めをし帰ってから全員の食事を
作り、チラシ配りを手伝ってくれている妻を裏切る事は道義的にできません。
主婦となられても、本能を押さえられない人を責めるつもりはありません。
ただ、妻を裏切れない奴もいるんです。
ご主人の留守に家に伺う仕事には破ってはいけないルールがあると僕は考えています。
花の独身になった今だと、多分お断りしないでしょうね、でも相手にされなくなって
しまっていることでしょう。
『おじいちゃん、これ直ります?』
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by kattyan60 | 2004-12-03 00:50 | 仕事の話



ヨーガをするショコラ君