山の彼方の幸せ求め・・・

2004年 11月 28日 ( 11 )

何でも食べれる。

小学校の頃、住吉神社で遊んだ。
ロープを持って行ってターザンごっこをした、住吉神社には丁度良い間隔で木が
育っている。
森じゃなく、林程の間隔である、その木から木へと移るとき、僕はターザンになりきる。
ジョニー・ワイズ・ミューラーという人オリンピック選手が主役だと大きくなって知ったが
その雄叫びは真似出来なかった。
木をすり抜けて行くはずが木に激突した、正面から激突した顔面から胸、お腹と・・・・
辛うじて落ちなかったがその痛さは男にしか解らない。

家の直ぐ近くに製材所の木切れが山のように積んである、銭湯の燃料らしい。
そこの下から木切れを引き抜いて穴を掘る。
その穴は僕らの基地になる、その穴にロウソクと菓子を持ち込んで遊びとした。

神社の中に広く囲われた場所があり、宮司なぞの住まいであったろうか。
その中に、胡桃の木が数本あって、落ちた実をシャツを脱いで拾った。
食べれるとは知らなかったが家に持って帰ったらお母ちゃんは受け取り乾燥させてた。

近隣には田んぼがたくさんあって面白い程、海老ガニ(ザリガニ)が採れた。
それをバケツに入れて持って帰ったらお母ちゃんは湯がいてくれて食べた。

その田んぼにイナゴがたくさんいるから捕まえると百姓が西瓜やキュウリをくれた。
イナゴは焼いて醤油で食べた。

大和川でハゼを釣った、たくさん釣れたときはお母ちゃんは干して出汁をとって
素麺つゆにした。

近所の柿の木から柿を採った、追いかけられたが柿は離さなかった、家で食べたら
渋柿だった、お母ちゃんは米の中に入れた、そしたら甘くなった。
お母ちゃんは偉いと思った。

台風の時、住吉神社へ行ったら池の水が溢れてた、鯉が浅瀬でもがいてた。
それをシャツでくるんで持って帰った。
お母ちゃんは受け取ったが食卓には出なかった、売ったのかもしれない。

収穫した後の畑でサツマイモを捜した、痩せて百姓が捨てたのをいっぱい拾って帰った、
その日の夕食のご飯は芋が入って美味しかった。

そこは僕たち子供達がイジと呼ぶ田畑が広がるところ。
小さな川に舟があり、それは人糞を運んだものだった、それの渕に立ち移動した。
畑に成る西瓜を大人の真似をして叩いて良いのを選ぶ、そして持っていた
[肥後の守](ナイフ)で蔓を切り抱えると逃げる。
百姓に捕まった、頭とお尻を叩かれたが西瓜は離さず抱えてしゃがみ込んだ。
百姓は二度とするなと言って西瓜をくれた、次からは他所の畑にした。

学校の給食に脱脂粉乳が出た、ユニセフからのいただきものだが僕は飲めなかった。
先生に残されて飲む練習をしたが、お腹を壊した。

時折だったかもしれないけど乾パンの配給があった、一人で食べれた、好きだった。
おやつにキビを炊いて練ったものを食べてた、旨いとは思わなかったがお腹は膨れた。

大人も食べることが大変だったんだろうなぁ〜
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by kattyan60 | 2004-11-28 22:54 | 幸せの定義

親友s子さん

その親友は九州へ越してった。
その親友はバイクの通常走行での名人である、それは事故も無く走っているからである。
その親友のご主人はバイクのインストラクターだから当然かもしれない。
その親友は数回、僕にバカと云う。
その親友は僕の孫と自称する、それ程若い。
その親友は責任感が強い。
その親友は僕より少しだけ背が高い。
その親友は僕に時折説教をする。
その親友を僕はちょっとだけ尊敬している。
いつか追い越せる日がくるかもしれないと考えている。
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by kattyan60 | 2004-11-28 22:00 | 親友

恥ずかしくない貧乏

貧乏
貧乏の生い立ち
国そのものの政策が失敗して破綻した国もある、そこに住む人は好まずに貧乏になる。
必ずしも恥ずかしいことではない。
某大型スーパーが破綻して、支払いを停止された関連企業は青天の霹靂のように
突然貧乏神が住み着く、そしてその企業と交際のあった企業もまた支払いの停止を
されてしまう。

僕の会社もバブルが弾けて久しい頃に、集金に伺うと社長が頭を下げて『すいません、
支払いが出来ません』と言い、一枚の紙を渡された、そこには民事再生法の適用を望む
という事が書いてあった。
社長は10億の負債が出来てどうしようもなくなったと言い再度頭を下げた。
殴って帰った人も居たという、そして僕にもそうして気晴らししろと言った。
僕は肩に手を置いて「10億はしんどかったでしょう? やっと楽になれるやないですか、明日からは資金繰りを考えずに頑張れるから、もう一度頑張ってください」と辞した。

それからこっちは大変で、支払いに予定してたお金が入ってこないから妻も大慌て。
二人で工面してその場を乗り切って数日後、例の社長から電話があって来ると云う。
事務所で待ってるとすっかり明るくなった社長が来て直ぐに帰るからと言った。

紙袋を手渡したので中を見ると現金で320万入っている。
僕「何んです?」
社長『過去に支払った手形を、その金額の分だけ返してください』
過去に貰った手形はただの紙切れになっている、それを買い戻すと云う。
理由は、当日苦情の一つも云わずに励ましてくれたのはあんただけで、一部でも
返したかったと、彼は涙を見せた。
それは自分の資産を整理した一部だからと云って帰って行った。

それから数日して、工場を狭い場所に代わるから手伝って欲しいと、電話があって
引き受けた。
うちの社の一人は、損をさせられた会社へ行くんですかと云った。
そうだ、今迄お世話になった恩返しと思って頑張ってくれよ。
作業中、社長から呼ばれて行くと僕のところから納品したものは帳簿に載せてないから
持って帰れという。
売価だけどクラウン程度の車が1台買える、それを返してくれると負債はゼロとなる。
こそっと積んで帰ってきたが貧乏は変わらない。

僕がまだ本業だけでは生計が立たない頃、土木の仕事も引き受けていた。
清水建設のひ孫受けをしていた時、人数が欲しくて人を送ってもらった中に目つきの
違う人が居た、昼食時に話していると、大手の企業に居たと云う、大量リストラの波に
流された一人だと嘆きもせす淡々と話し、今は家族と別れてホームレスをしている
と云う。
ホームレスの人達の中にもプライドを捨てず、踏ん張ってチャンスを待つ人が
いるんだなぁ〜と思った。
あの人はきっと今頃は・・・・・・
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by kattyan60 | 2004-11-28 17:43 | 仕事の話

喘息と幸せ

喘息の話しなんて面白くも何ともない、だが僕のような正真正銘の由緒ある患者と
違い、途中から発作が始る人も多いとか聞いた。
僕らは子供の時に持っていたから中断していたとはいえ然程驚くにあたらなかった。

完全に中途からの患者さんは、職業や家庭の事も含めて困って居られると聞く。
患者の会はそんな方のお力になれる情報を捜したりする事を目的の一部としたい。

肺は内臓ではなく外臓だと医師は云う、外気と直接接しているので外臓だそうだ。
肺に入る空気以外の物質を選択して吸う事は不可能だから、少しでも空気の奇麗な
処へ越すか職場を選ぶ必要がある。
僕が自営を始めた理由の一つでもある。

緩いカーブで下降する体力は喘息にも影響していると思う、水泳も良いだろう。
娘にも僕の喘息をプレゼントした、その事を感謝しろと言った事がある。
娘は肺を鍛える目的もあり、中学校ではブラスバンド部でトランペットを吹いた。
2年生の後半に部長になり、先輩でもある現在の婿と知り合えた。
高校でもブラバンで頑張る娘の目は輝いていたが、演奏なのか彼だったのかは聞かない
方が良いだろう。
今の幸せは父のプレゼントした喘息が取り持つ縁なんだぞと自慢した。
娘は笑って答えなかった。
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by kattyan60 | 2004-11-28 13:02 | 愛を語る

入院点描2

喘息の発作に大量のステロイドを使用する治療が確立している。
発作が出ると、気管が浮腫を起こす、そして気道を狭めた結果呼吸困難となり死に至る。

手遅れになる前に医師の診断を受け処置をすると大事に至ケースは最小となるだろうと
体験からそう思う。
息も絶え絶えで、5mが5000mにも思う呼吸困難は酸素を消費する行動を嫌う。
軽度の発作は肺の末端で起こっている、年間を通じて軽度の発作を感じている。
肺活量が落ちているから、歌が歌えない、会話の息継ぎも頻繁となり聞き苦しいで
あろうと思う。
必然的に家でベッドに横になり、会話を避けてテレビに観い入る。
何故自分はこんな病なんだろうと何度か思ったが根が軽く出来ているせいか、それ以上
親に苦言を吐いたことはない、今もアイタ・ペアペア(気にしないと教えてくれた)
NHKの番組で遺伝子の病で難病となった青年は健康な体が欲しいかと聞かれた時
生まれ代わっても同じ病でも良いと言った、とても重い言葉に感動した。
当然健康体になりたいと云う答えを誰しもが期待したが、そうではなかった。

筋無力症を患った学者は云う、遺伝子の変異に依る病は人間としての考えであって
それは、何か環境の異変に対応した進化の一部だとし必要なのだと云う。

エイズという感染症にも対応できる人が存在しているそうだ、同性を愛する男性の
伴侶がその病で世を去ったのに、その男性は陰性なのだそうだ。
喘息も肺に入る異物を拒否する反応の一部だったに違いない。
どんな病も嫌だ、ましてそれが子供だと親は身をよじる程に辛い。
僕が小さい頃の喘息を、お母ちゃんも辛かったであろうと思う。

発作で入院したその日から大量のステロイドを投与される、そして気管を広げる薬を
24時間点滴投与される、経験からこれがなされると軽減する事を知る人は安心する。
そのステロイドは精神が高揚し、普段の自分でなくなる。
小さな事で怒りがこみ上げる。
良い効果もある、凄い集中力が出る、アスリートが薬物に頼る気持ちが理解出来る。

このステロイドは副作用も顕著だから医師は頻繁に血液検査をし、肺の音を大切にする。
教授回診の時、楽になった呼吸を停めて悪戯をしたら教授は『南さ〜ん』と笑いながら
肩を叩いた、最近の聴診器もハイテクで教授一人が聴診すると若い医師達の聴診器に
無線で音が飛ぶ、若い医師達も教授の笑いに従う。
そして、その音の特徴を若い医師達に説明した後、僕と患者の会に花が咲く。

ステロイドを停止するのが難しいと若い主治医は云う、半分量にし観察する、そしてまた
半分にし最後にとどめの筋肉注射で完了する。
ステロイドは副腎が製造するホルモンで時に増えた時、火事場の馬鹿力となる。
そうした事をコントロールするのも脳だったのだ。
脳にも意識的にコントロール出来ない部分がある事を知り、日々できる知識の栄養
を脳へ届けようと思った。
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by kattyan60 | 2004-11-28 10:56 | 老いても尚

満月に思いを馳せて

昨夜、空港から大阪市内へ向かう車から満月が雲間に見える。
ウサギが餅を突く姿を連想した古人は心豊かな方だったんでしょう。

外国の方にはどう映っているんでしょう?
その車中で同乗の長年アメリカに住む方に聞いてみたら奇麗な発音でナッシンと
云われた。
現代、僕もゆっくりと長い時間月を眺めた記憶が無い。

月が出る頃には家でテレビにかじりついて居たと思う、この歳になって一度ゆっくりと
遠視になった目で月の表面を観察してみよう、倉庫から望遠鏡を持ってこよう。
そうだった、この部屋には空が画用紙程度しかない、何処か空が広い処を捜して
望遠鏡を据えてじっくり観察しよう、覗き魔と間違われない処を捜そう。

そんな観察をしようと考える僕たち日本人は長年平和であり、人と人の微妙な関係を
体験した事以外は、その危機感に乏しい。

大いに反省する記事を掲載し、ご忠告いただいたことがある。
外国からアクセスされるblogの力を軽く見てはいけない。
知らず知らず他人を傷つける場合もある事に留意していこうと反省した。
blogを通じて親友となった方からのご意見を尊重し、心からお礼を言いたい
と思います。  
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by kattyan60 | 2004-11-28 09:57 | カテゴリーに入らない話

僕の宝物

当時家には風呂が無かった。
僕は仕事で遅く帰るのと、帰ってからも仕事関連の本を読んでいた。
妻や子供たちは、混雑を嫌って早い時間に銭湯へ行くから僕が連れて行ったことが無い。
連休の日に、幼い息子を連れて銭湯へ行った。
息子はよちよち歩きを、し出した1歳過ぎだったろうか。

体を洗って湯に浸けていると、息子はウトウトしている、”気持ち良いんだろうなぁ〜”
ちょっと異変が起こった、息子の股間から泡が出た、次に黄色いものが浮き上がってきた。
それが何であるかは直ぐに判る。
慌てて銭湯備えつけの洗面器で汲み上げて湯から上がったが、内心ドキドキである。
皆さんはそれぞれの課業に専念していて助かった。
浴槽の中で顔を洗ってはいけません、そこの僕、潜って遊んではいけませんとも云えず
そうそうに家に帰って妻に話すと、妻は涙を流して笑ってやがった。

娘が2歳頃、初めて銭湯へ連れて行った、湯に浸かり「50迄数えれるかな?」と云うと
『うん、数えれる』と言うが7ぐらい迄数えた後が出来ないから「坊さんが屁をこいた」を
教えた。
娘を洗ってから僕が洗い、頭を洗っていると『ギャ〜』と云う声に驚いてその方を見ると、
立って鏡で髭を剃っているおじさんの大切な部分を娘が握っている。
娘に手を離させて、お詫びし早々に家に帰ってその顛末を妻に離すと妻は泣きながら
肩を振るわせながら『いつも女湯だから〜アッハハハ』と笑いやがった。
妻の解説では、立って少し屈んだおじさんが手を動かす度にそれは揺れる、娘には不思議
だったんだろう、見た事も無いものが揺れていれば猫だってちょっかいを出すよと云う。
もっともだと妙に説得力のあるシナリオに大いに納得した。
それから数十年、娘は自分の娘を婿に風呂を頼んでいると云う。
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by kattyan60 | 2004-11-28 04:15 | 愛を語る

家族の事

僕のおばあちゃんは岡山に住んでいた、おじいちゃんは今の僕より少し過ぎた歳で
旅立った。
幼かった僕が、おじいちゃんの棺桶に座った記憶がある、10歳と12歳年上の姉に
聞いたら間違っていなかった。
おじいちゃんは喘息を持病としていたとお母ちゃんから聞いた。
お母ちゃんは隔世遺伝だと僕に言った。
おじいちゃんの顔をはっきり覚えているのは写真のせいだろう。

おばあちゃんはいつも首を左右に振っていた、血圧が高かったんだろうと今は思うが
当時は不思議だった。
お母ちゃんは前の旦那に飽きたのか、娘二人を残して駆け落ちをしたと大きくなって
聞いた。
僕のお姉ちゃん二人はそれを今も憾んでいる。
次姉は古い話しだから、もう良いと云うが大姉は今も『あんたは良いよ、お母ちゃんと
一緒だったんだから』と云う、しかし義理である父の愛情を感じた記憶が無い。
あんた達は優し過ぎる実父が居たじゃないか。

今も岡山に住む姉達とは仲が良い、一緒に暮らしたのは僅かだが僕は姉達が好きである。
独りになってからお正月を祝えない、雑煮も食べれない、紅白だって詰まらない。
次姉が来いと云うのに甘えて昨年のお正月に岡山へ行った。
そこで姪達にも歓迎されて、毎日鯛や鮃じゃないけれど雑煮に初詣にと毎日がイベント
続き、4日は誕生日だからと近くの温泉へ日帰りで連れて行ってくれた。
姉達に感謝している。

両親が揃っている幸せを当たり前と思えるようにしたいと青年期考えていた。
僕のお嫁さんになった人、みっちゃんは孤児だった(前記時に重複)
子供の躾けや、対応の鏡が無いから夢中だった。
二人で本を読んだ、うつぶせに寝かせるのが理想だと云う本もあれば従来通りが良いと
いう本がある。
おしめはこうしろ、ミルクはああしろと事細かに記載されていたが、その反対も
書いてある。

我流子育てを決心した時、妻は二人目を身ごもっていた二十歳だった。

男女を産み分ける方法なる本を買ってきた、食事などと努力した。
結果は成功した、効果は判らないがともかく成功した。
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by kattyan60 | 2004-11-28 03:51 | 愛を語る

銭湯で

最近のことである。
銭湯で僕が息子と話しているとき、昔の話しを思い出し聞かせた。
息子は前に聞いたと云う。
はっとした、そこに老人となった自分に気づいたんである。
聞かれない限り昔の話しは止そうと思った。
息子がそのインパクトの小さい事を聞いたと覚えてくれていた事の喜びとともに
昔話しは僕が墓場へ持って行こうと考えるようになった。

今年の初め頃入院していた。
そこに、一人の老人が居た(その人は僕より14歳先輩だと云う)
毎朝その人の部屋へ行き、挨拶をしてベッドの傍に座り話しを聞く。
昨日と同じ話しを聞く。
その翌日も同じ話し、そしてその翌日も、すっかりその人の過去の環境を暗記した。
医師は痴呆だと云うが、昔の話しをしている老人の繰り返すこと以外は気づかない。

退院して老人を訪ねると誰だったか、まったく覚えていないと云う。
老人は昔を 今生きている、老人は治療の方法が無いと医師は云うが薬は処方されている。
それがどんな効果をしているかは知る由もない。

僕は老いを恐れないが痴呆は恐れている。
あのーそのーを極力思い出す努力を欠かさないようにしているが、あのーですね、
それ、あれですよあれと、ならないように昔話しはBlogだけにしよ。
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by kattyan60 | 2004-11-28 03:18 | 老いても尚

愛情のエネルギー

人の感情の中で、憎しみと嫉妬はそのエネルギーは凄まじいと思う。
愛情も大きなエネルギーを持っているがこれは短期ではないでしょうか?
大恋愛の末、結婚した息子は銭湯でこぼす。
『最近さぁ、○○○は昔の愛情が消えたみたいやねん』
そりゃ〜そうさ、子供ができたら亭主なんぞは給料だけ運んでればいい。
家具の配置換え、壊れた棚の付け替え、学校の父親参観日と必要とされる日数は
知れている。
愛情と云うエネルギーのキャパシティーがあって、子供に行く分亭主の分は減るよ。
子供が成長して、自立したときに また必要とされるから それまで待たなきゃね。
と息子に伝えた、息子は一々 うなずいていた。
愛情が見えなくなったからとて愛されていない訳じゃない。男と女の関係から変化している
過程だとも伝えた。
昔、嫁になる前に妻と3人で奈良公園へ出掛けた、その参道で偶然息子の元彼女が女友達を伴って歩いているのに出くわした。
僕は得意先でもある彼女と立ち話をした、そして嫁前の○○○ちゃんを見たら凄い顔を
していた。
家に帰ってから妻とその話しをしたら、女の嫉妬は半端じゃないよと僕の浮気防止への
警告とも取れる返事をした、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
よそ見をしないようにしようと思った。
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by kattyan60 | 2004-11-28 02:55 | 愛を語る



ヨーガをするショコラ君