山の彼方の幸せ求め・・・

幸せの定義

幸せ、幸福、至福のひと時。
美味しいものを食べてる時も幸せを感じる、気に入った服を見つけた時も幸福と
思えるんではないでしょうか?

でもやはり一番の幸せとは善き伴侶を得たときでしょう。
善き伴侶を得るには、自分の研鑽(けんさん)が重要だと思います。
研鑽とは自分に教養をつけることでしょうか、そしてそこから生まれる人への
思い遣りと考えています、もちろんそんな単純なことでないのも理解しています。

『あの人は良い(善い、佳い、好い)だよね』と云われるには、人の世話をする、
人の悪口は云わない、全てのひとに優しい、こうして書いてみても、それは非常に難しい。
人の世話をするって面倒だし、人の悪口を云うのは気持ち良い、全ての人に優しくすると、特定の大切な人から誤解されてしまうだろうし。

特定の大切な人に[一緒に居たい]と思ってもらいたいものですね。

子供が産まれた日は幸せだと思ったものです。
僕の場合は、子供に対してよりも、その事に因って家内との強い絆が生まれた事を
嬉しく思ったと思う(子供達が読んだら怒るかな?)

男、いいえ僕と断定しましょう、ある行為があって信頼が出来て全面的に服従
するのが僕、そしてそこから、その人への無償の愛が始まります。

子は親に全幅の信頼を置き、親は子に無償の愛を注ぎます。
一時的に、子は親を嫌います。
娘さんに『お母さん、私のはお父さんの下着と一緒に洗濯は止めてよね』と云われて
悲しんでいた友人も、今は普通の父娘としての関係が出来ている。

確かに、男って髭は生えてるし、体中は無駄毛だらけだし、体はでこぼこだし
食べちゃいたいくらい可愛い子供からは程遠い存在、だからご婦人から愛されようとすれば
無駄毛を剃り落とし、体のでこぼこを均(なら)して赤ちゃんに近づくのが早道、
ところがこれは母性本能への刺激であって、男女のそれではない。

男を鼓舞(こぶ)するにはやはり無駄毛があって、でこぼこが強く、屈強である必要があるんではなかろうか?
でも、僕は若いころから華奢(きゃしゃ)な体つきで[男]とは少し離れた存在だった
ように思う。
そこで生まれた僕の信条は、見かけはどんな姿であっても、精神は屈強な男でありたいと。

そして、武士道=陽明学=王陽明=如何に死すかが問題となった訳であります。
当時は吉田松陰や坂本龍馬、織田信長、三国志、など片っ端から読み漁り、
友人でもあり、勤務先の上司から『お前変な方へ行くなよな』と云わしめた程。
そんな本に時間を割いたのも、今思えば全ては善き伴侶に出会いたいとの
努力ではなかったかと(涙ぐましいよな)
そして、得た女房殿と34年余、幸せだったとしか言いようがないです。
僕も家内も、義理である父親と義理である母一人に育ったために、見本といえば
ドラマと知人の話ですから家内とベッドに入ってから、そのことで話合ったもんです。

そこで結論を求めると、ただ正真正銘の両親に育てられるだけ、それだけで充分に
幸せであります。
[幸せの定義] 続く
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by kattyan60 | 2004-11-14 02:53 | 幸せの定義
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