山の彼方の幸せ求め・・・

妻の病

僕が自営を初めたのは37歳だった。
妻が慢性腎炎で倒れたのが切っ掛けで、子供はまだ小学生だった。
腎炎

朝、妻の昼食を用意しながら洗濯機を回し、干してから出掛けて夕方に帰ってきて、妻の指導の元料理を作る。
妻は塩分が採れないから、酢などを使ったと記憶している。
僕達は塩分が無いと身体が持たないから必然的に2種類作る。

妻は僕に手を合わせているが、僕が喘息の発作が出た時には妻に世話になるから「お互い様だから」と言うと妻はニコッっと笑う。
そんなことが半年程続いただろうか?
妻の病気も悪いなりに安定し、家事をぼちぼち手伝いだしてくれた。
何より嬉しかったのは、寝たきり安静が少しは動いても良いと医師から言われて妻共々抱き合って喜んだ。

妻は我慢強くて、病院嫌いときているから病気の進行が本人にしか判らない。
家の蛍光灯を替えた、自然色に見えるようにしておかないと妻の顔色が判らない。
四国の金毘羅宮へ行った時『ホヘ〜こりゃあかん、お父さん上がっておいで、私は此処で待ってるから』と言われて一人で上がった。
後で判ったことだが、この時に強度の貧血だったようだ。
本人も、余程身体の怠さが普通ではないと思って大学病院へ行き、貧血が判った。
貧血

薬を飲み出して驚く程元気になったもんで、僕は大いに喜んだ。

それでも定期的に腎炎の検査には行かなくてはならないのに、いくら言っても中々腰を上げない。
40歳の後半におかしいと思ったのか、病院へ行くと言いだしたので付き添った。
子宮筋腫だった、それもかなりデカイと医師は言い全部摘出しますと宣告された。
子宮筋腫
手術の済んだその夜はかなり痛かったようで、我慢強い妻は唸っていた。
看護師さんを呼んで、処置を頼んだら『切ったから、そら痛くて当然ですね、痛み止めを処方してもらいますね』この時に僕は思った、痛いのが当然ならば予め薬を点滴に入れておいてくれれば良いのに。
退院した妻はお腹の傷を見せながら『ごめんね、女で無くなったし、お腹も汚いね』
「関係ないよ、僕だって火傷の後はあるし今までと変わらないよ」
それから、妻は鬱に向かって行った。
後で判ったことだが、ホルモンのバランスが崩れたそうだ。
それを考えると、今も辛い。
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by kattyan60 | 2005-04-04 00:00 |
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