僕が勝った
si
漢字で書くのを控える。 誰にでも訪れるそれは祝うほどに高齢であっても悲しいものである。 そして葬儀に参列する。 昔観た映画で孤児院の子供達に慕われているご老人が去った。 それを子供達に伝えたい女性は子供達を葬儀に参列させず想い出の場所へ 連れて行った。 そしてそこで老人の si を伝えた、女性は去った事を悲しむより此処で遊んだおじいちゃん を思い出してください、そして祈ってくださいと伝えた。 僕の時もそうして欲しいと思う。 実は家内の葬儀もしていない、法事というものも一度もしていない。 子供達も親父の好きにしたら良いと云ってくれた。 富田林に僕の墓がある、そこには家内の養母が入っているが家内はまだ入っていない。 僕のベッドの横に置いてある、小さな桐の箱に入った壷の中に妻は居る。 誰も墓に入れろとは云わない、僕が入る時に入れると良いと考えているんだろう。 家内をおぶった事がある、二人で体重測定をしたら家内の方が少し重い。 その時、僕は家内をおぶって力を鼓舞した。 家内は背中で笑いながら、強いのは判った判ったと言い降ろせと言った。 それから数年、僕の体重が少なからず増えた、妻は僕をおぶった。 今は片手で持てる体重になった妻にどうだ参ったかと云ってみたが返事がなかった。
by kattyan60
| 2004-11-29 01:23
| 愛を語る
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